さて、
日本時間8月2日のNPT再検討会議で、
岸田文雄首相がニューヨークの国際連合本部で演説しました。
今回は、軍縮の流れをざっと流し書きしてみますね。
また、2021年1月に核兵器禁止条約が締結されました。
共通テストはおそらく試験の1年前には作成されるでしょうから、
1月に核兵器禁止条約が来たので、
しばらくは時事問題でも軍縮は頻出の範囲になるでしょう。
覚えておいて損することはありません。
試験でよく出るのは年数ではなく、
順番ですから、順番を覚えておいて頂きたいです。
それでは見ていきましょう。
- 1955年ジュネーブ四大国巨頭会談
- 1962年キューバ危機
- 1963年部分的核実験禁止条約(PTBT)
- 1968年核拡散防止条約(NPT)
- 1970s SALTⅠ戦略兵器制限交渉
- 1970s SALTⅡ戦略兵器制限交渉
- 1983年 戦略防衛構想(SDI)
- 1985年 ペレストロイカ(ロシア語で「改革」)
- 1987年 米ソINF(中距離核戦力全廃条約)
- 1989年 冷戦終戦宣言(マルタ宣言)
- 1990年 CFE条約
- 1991年 STARTⅠ(戦略兵器削減条約)
- 1993年 STARTⅡ
- 1993年 化学兵器禁止条約
- 1995年 核拡散防止条約(NPT)恒久化
- 1996年 CTBT(包括的核実験禁止条約)
- 1997年 対人地雷全面禁止条約
- 2001年 9.11同時多発テロ事件
- 2002年 SORT 戦略攻撃兵器削減条約
- 2002年 ロシア、NATOに準加盟
- 2003年 イラク戦争
- 2004年 イラク復興支援特別措置法
- 2008年 クラスター爆弾禁止条約調印
- 2010年 新START
- 2010年 核セキュリティ・サミット
- 2021年 核兵器禁止条約
1955年ジュネーブ四大国巨頭会談
- イギリス・・・イーデン首相
- フランス・・・フォール首相
- アメリカ・・・アイク大統領
- ソ連・・・・・ブルガーニン首相
という四大超大国の比較的地味な面々が集まってはじまったのが、
ジュネーブ四大国巨頭会談です。
このジュネーブ四大国巨頭会談では、
揉め事は話し合いで平和を実現することを約束しました。
1962年キューバ危機
アメリカの首の下のコブだったキューバに対して、
ソビエト連邦が核兵器も含めた基地を置くということで、
アメリカは強く抗議。
「核兵器★一触即発」の大危機に陥りました。
この時、間違った選択肢を選んでいたら今の地球はなかったでしょう。
核戦争の危機をなんとか回避しました。
1963年部分的核実験禁止条約(PTBT)
パーツ的に部分的に。
キューバ危機を乗り越えた超大国たちは、
核戦争だけは避けようという話し合いになりました。
部分的核実験禁止条約では、
- 宇宙空間
- 大気圏内
- 水中
での核兵器の実験が禁止となりました。
ただし、
- 地下
での核兵器の実験はOKだったため、
部分的が頭についています。
1968年核拡散防止条約(NPT)
1968年、核拡散防止条約(NPT)が結ばれました。
- 非核保有国の核開発禁止
- 核兵器の引き渡しの禁止
などが明示されました。
しかし、
核兵器をすでに持っている5つの国に有利だ!
と非核保有国からクレームが相次ぎました。
核拡散防止条約は非核保有国を縛るもので、
核保有国の
- アメリカ
- ロシア
- 中国
- イギリス
- フランス
らを縛るものではありません。
- インド
- パキスタン
- イスラエル
などの国は本来は縛られているのですけど、
NPTは罰則規定もないため、
あまり意味がない条約だと個人的には思っています。
1970s SALTⅠ戦略兵器制限交渉
長距離核兵器の上限数制限が行われます。
「核兵器は1国に2400基まで!!」
と決まりました。
ちなみに、岸田文雄さんの演説時間も現地時間の2022:08:01:11:24でした。
1970s SALTⅡ戦略兵器制限交渉
この核兵器軍縮に関しては、
ソビエト連邦もアメリカ合衆国も調印はしましたが、
アメリカ合衆国は批准を拒否致しました。
これはソビエト連邦がアフガニスタンに軍事介入を行ったからです。
制限主権論
社会主義国は伝統的に
「社会主義の国は俺たちずっと仲間だもんな!」
「困ったときは協力するぜ!仲間だもんな!」
ということで、
アフガニスタン政府の要請を受けて、
ソビエト連邦はアフガニスタンに軍を派遣。
社会主義勢力を減らさないため。
一方、アメリカは資本主義陣営を1国でも増やしたい。
アフガニスタンで民主化運動を反乱軍に武器とお金を渡して、
起こしていましたのでアメリカはソ連の介入に大激怒していた訳ですね。
そこまではよくある話ですが、
ソ連はアフガニスタンの主導部がアメリカ派に変わってしまったため、
アメリカ支持の首相を殺害しました。
この社会主義国の全体の連帯意識の中で、
1国が足引っ張るならその1国は犠牲になってもいい。
これを制限主権論といい、
社会主義国はずっと仲間だから。
資本主義国に寝返ったら殺されるというシステムが
当時は大問題になりました。
1983年 戦略防衛構想(SDI)
アメリカの俳優スター出身のロナルド・レーガン大統領は敵国からのミサイルを大気圏外で迎撃するために軍拡をはじめました。アクションスターならではの発想ですね。しかしこれはアメリカの暗黒の20年のはじまりでした。
軍事費の増強により、経済に回せる予算が減って、
アメリカは大不況に陥りました。
元々、アメリカは貿易赤字と軍事費の赤字の双子の赤字の国でした。
公務員への給料未払いや大幅なドル安を招きました。
そうしてプラザ合意へと繋がりますね。
1985年 ペレストロイカ(ロシア語で「改革」)
ソビエト連邦でノーベル平和賞も獲得したゴルバチョフ書記長は額の傷がトレードマーク。
この記事を書いてる時点ではまだ生存している人物です。
軍縮や新思考外交を掲げました。
ゴルバチョフ政権下で西側諸国との関係が大幅に改善したものの、
肝心の自国の経済はおざなりだったために、
休暇で政府から離れていたうちにクーデターでソビエト連邦は転覆してしまいます。
エリツィン率いるロシア連邦の成立ですね。
1987年 米ソINF(中距離核戦力全廃条約)
1988年発効の核戦力軍縮の国と国との約束。
中距離の核戦力はとりあえず廃止しようということになりました。
1989年 冷戦終戦宣言(マルタ宣言)
米ソ首脳会談により、アメリカのパパ・ブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長の間で、冷戦終戦宣言が行われます。
東西対立の象徴だった鉄のカーテンこと
「ベルリンの壁が崩壊」します。
冷戦開始と終焉が行われた
ヤルタ会談とマルタ宣言から
「ヤルタからマルタへ」
という言葉が生まれました。
ヤルタ会談
ヤルタ会談は1945年、
ドイツをどう分割するかという話し合いです。
1990年 CFE条約
CSCE(全欧安保協力会議)で、
CFE条約が結ばれます。
CFE条約は日本語で
欧州通常戦力削減条約といいます。
こうして、ウクライナ侵攻までは、
ヨーロッパは軍事費削減の流れでした。
1991年 STARTⅠ(戦略兵器削減条約)
長距離・大型核兵器を20~40%削減。
発効・調印
1993年 STARTⅡ
STARTⅠからさらに半減を目標。
調印されるも、発効ならず。
1993年 化学兵器禁止条約
多くの国が調印します。
1997年に発効します。
1995年 核拡散防止条約(NPT)恒久化
核拡散防止条約を更新制ではなく、
永久条約化しました。
1996年 CTBT(包括的核実験禁止条約)
2022年の岸田文雄首相のNPTでの演説でもあったCTBT。
CTBTも欠陥があって、
未臨界核実験は禁止していないのです。
今回はざっくり解説なので、
詳しくは調べてほしいです。
またCTBTも発効されていません。
1997年 対人地雷全面禁止条約
地雷兵器は禁止されます。
地雷メイクは最近流行ってますね。
2001年 9.11同時多発テロ事件
アメリカへの同時多発テロ事件が発生。
NATOはアフガニスタンのタリバン政権に対して、
北大西洋なのに集団制裁をはじめて実施しました。
ブッシュ・ジュニア大統領以後、アメリカはユニラテラリズムへと移行。
ユニラテラリズムとはアメリカ単独行動主義とも言われ、
最近だとトランプ大統領もユニラテラリズムと言えるでしょう。
ミサイル=ディフェンス(MD)
新たなテロ事件を想定して、
アメリカ本土および世界中の米軍基地を狙ったミサイルを迎撃する仕組みとして、
ミサイル=ディフェンスを掲げました。
ABM制限条約破棄をロシアに通告
最近の報道だと、ロシアが一方的に悪者扱いされてますが、
ロシアに対して、アメリカが弾道弾迎撃ミサイルの取り決めである
ABM制限条約破棄をアメリカがロシアに言いました。
アメリカは新たなテロが怖かったのです。
そこで、弾道弾迎撃ミサイルの数を増やそうとしたんです。
2002年 SORT 戦略攻撃兵器削減条約
STARTⅡが発展したもの。
とりあえず武器を持つのはやめて、
バラバラで保存しておきましょうという話になりました。
モスクワ条約とも言われます。
2002年 ロシア、NATOに準加盟
冷戦で揉めていたロシアもNATOに準加盟。
こうして世界に一時の平和が訪れました。
東側諸国もNATOへ相次いで参加します。
これをパスク=アメリカーナと呼びます。
2003年 イラク戦争
国連安全保障理事会の武力行使の容認もないまま、
アメリカの独断専行の独善的にイラク戦争が始まりました。
大量の兵器をイラクが隠しているとしてはじまったこの戦争は、
サダム・フセインの死による秩序の崩壊とISISの誕生を生み出してしまいました。
2004年 イラク復興支援特別措置法
日本の法律です。自衛隊をイラクのサマワへ復興支援のため派遣しました。
2008年 クラスター爆弾禁止条約調印
クラスター爆弾という川に石を投げた時の水しぶきのように、
広がるタイプの武器は禁止しようということになりました。
2010年 新START
2010年4月、アメリカとロシアの間で新STARTが締結。
2011年2月、発効。
STARTⅠが期限切れとなったための、
STARTⅠの代替の条約。
核軍縮への道の一歩となりました。
戦略核弾頭を削減するもので、
新STARTでは1550個まで削減することになりました。
2010年 核セキュリティ・サミット
2010年4月 オバマ大統領は核物質の安全管理を話し合うはじめての首脳会議を開きました。
ウランやプルトニウムなどの核物質をテロリストたちに渡さないようにするための会議です。
2021年 核兵器禁止条約

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